娘にあいたい
社団法人被害者サポートセンターおかやま
自助グループ「もえぎいろの会」
徳 永 和 枝
平成19年7月7目、娘(当時21熾)は、広島市内で1 8歳の少年に殺害されました。もうすぐ、いなくなって一年がきますが、どこからか、「お母さんただいま。」と言って帰ってきてくれる上うな気がします。この事件で分かった真実は、娘は風俗の仕事をしていて、仕事先で少年に殺害されたということです。娘の仕事について、私達は印刷会社でアルバイトをしていると聞いていましたので、驚きとショックを隠せませんでした。
娘を亡くした被害に遭い、その上、私達を傷つけたのは、広島県警が、私達遺族が身元を確認する前に、娘の実名・職業やその実家の住所を公表し、そのような公表をしたことを、私達に知らせてくれなかったということです。それによって、私達は報道被害を中心とする二次被害を受けました。被害者の人権は誰が守ってくれるのでしょうか。この事件で、私は大きな三つの壁にぶつかりました。
- .加害少年は、18歳ということで、名前も顔もメディアにでません。他方、週刊誌には、娘の名前や職業、顔写真まで載っています。国民はここまで知らなければならないのでしょうか。被害者ばかりが報道の中心になり、それを見る私達遺族は、非常に傷つき、やり場のない怒りがこみ上げてきます。この問題を考えると、少年法というところにたどりつきました。少年の名前を公表するか否かについては、論議されているところではありますが、これだけ少年犯罪が多い近年の状況をみますと、残虐で世間を震撼させる事件が多く、近い将来、少年の実名の公表や、厳罰化といった法の改正が必要となってくるのではないかと考えます。
加害少年について、いろんなことが分かってきました。3歳から養護施設で育ったこと、6人兄弟で上から5人が養護施設で育ち、両親は生活保護世帯であるニと、少年の戸籍はあるが住所はないことなどです。少年の母親から2回、計数万円が送金されましたが、生活保護世帯からお金をいただく事に、人間としてそこまでするのかと私の人間性まで問われるようで非常に悩みました。これは私にとって新たな苦悩でした。加害者の損害賠償責任を考えるとき、民事裁判を起こしたくても資力のない少年に対しどうする事もできません。犯罪給付金制度はありますが、わずかなものです。私と同じような状況に置かれている被害者の方もたくさんおられるのではないかと考えると、是非国の施策の中で考えていただきたい問題だと思います。例えば、民事裁判を起こし、少年の賠償責任を求めたとしたら、国が加害者の代わりに賠償金を立て替えるという法律を立案していただき、被害者の経済的な救済にあてていただきたいと思います。
警察による被害者の実名等の公表が、ときには広い意味での公益性につながったり、真実の検証という機会を保証するという意味では、重要な役割を担っていることを理解はします。 しかし、広島県警は、私達遺族が身元を確認する前に何故実名等を公表したのか今だに理解できません。報道機関による娘の実名等の報道が地域住民の公益性につながったとは、全く思えません。広島県警が旧態依然とした感覚で行った仕事中心の行為であり、被害者対策の遅れを感じるとともに、被害者の人権を無視した行為だと思います。私は、広島県警に対し、公表に至った経緯を書面で答えてくださいとお願いしましたが、できないと断られました。また、広島県公安委員会に苦情の申し立てを行いましたが、このような重大事件では公表せざるを得なかったという返事でした。この返事に対し、私は納得できません。また、報道の自由と犯罪被害者のプライバシー権・名誉権、これらを総合的に考え、各報道機関にもう一度「報道」という意味を考えていただきたいと思います。
私は、これらの問題は私一人では解決できない問題ではないか、弁護士の介入が絶対に必要ではないかと考え、被害発生の直後から、民間の被害者支援団体に支援をお願いしました。これが被害者サポートサンターおかやま(VSCO)やT弁護士との出会いです。
そして、今年5月21目、広島地裁で初公判が行われました。公判には、同弁護士をはじめVSCOのスタッフの皆さんが同行してくれました。そして、検察庁や裁判所の対応も、とても丁重で、マスコミに会わないように様々な配慮をしてくださったり、公判後の検事さんとの意見交換の時間をもってくださったりと、私達遺族だけではここまでの対応はなかったと、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
被害者サポートセンターおかやま(VSCO)にお世話になり、約1年が経とうとしておりますが、私と一緒に泣いてくださり怒ったり気持ちを共感してくださって、私達遺族はどんなに救われたことでしょう。支援員の方と被害者は人間同士、対等という考え方をもち、活動されていることに敬意を表したいと思います。
娘がいなくなった悲しみは、癒えることはありませんが、皆様のお力添えをお借りし、これからも生きていきます。
ひとつだけ、願いが叶うとしたら「娘にあいたい。」私の願いはこれだけです。