性犯罪被害者の心理
「性犯罪被害者の心理」
VSCO機関誌「いつでもそばに」第11号の記事より
平成 27 年 7 月 25 日、岡山市の岡山市地域ケア総合推進センターで「犯罪被害者支援を考える市民のつどい」―“ NO! ”と言えなかった性被害者―を行いました。大阪高等検察庁 田中嘉寿子検事が「性犯罪被害者の心理」という講演を行いました。
「正常性バイアス」で逃げ遅れ
「凍り付き症候群」で抵抗できず
「従順・懐柔反応」で、同意があったと疑われる
届け出しにくい性犯罪被害
性犯罪被害は、被害にあっても警察に届け出しにくい犯罪です。内閣府の統計では、被害にあった被害者は、3~ 4%しか、申告していません。被害者が被害を届けでない結果、性犯罪の加害者は、検挙されないまま、野放しになっている人が非常に多い可能性が高いそうです。
強姦や強制わいせつ罪が成立するためには、13 歳以上の場合は、「暴行又は脅迫される」ことにより、反抗を著しく抑圧されたことが必要になります。でも、実際に被害に遭ったときは、正常性バイアス、凍り付き症候群によって、被害者は、一般にイメージされるよりももっと軽い暴行や脅迫によって反抗を抑圧され、逃げることも抵抗することもできません。また、自分の心を守るため「否認」という心のメカニズムが働いて、すぐに被害の申告が出来ません。これは、心の防衛機制で、「被害に遭ったなんてなかったことにしたい。」と思う被害者の切ない願望です。
傷害罪や強盗罪では、被害者に同意があったかどうかは問題にならないのに、性犯罪では、被害者が「同意があったんじゃないか。」ということがよく問題にされ、裁判で争点とされます。実は、「従順・懐柔反応」という生理的な反応のため、被害者は、加害者に従順にふるまうことが多く、それが、「嫌がっていなかったのでは?」と、疑われる原因になります。
正常性バイアス
そもそも人はなぜ逃げ遅れるのか、その原因が正常性バイアスです。正常性バイアスは、何か異常なことがあっても、正常の範囲内だと思い込んで無視する心理学の用語です。
災害が起こったとき、人は、警報が鳴ったらすぐ逃げるかというと、実は、なかなか逃げないのです。2度の大震災を経て、そのことがわかってきたそうです。正常性バイアスの例として、御嶽山噴火があります。遺品のカメラの中に、噴火の写真が沢山残っていたそうです。噴火の写真なんか撮っていないで、早く逃げたら良かったはずと思いますが、それは、他人事として見ているからであって、自分がその場にいたら、なかなかすぐに噴火が自分のところに来るとは思えません。性犯罪の場合も全く同じで、まさか襲われると思っていなくて、逃げるチャンスを失ってしまうことが多いのです。
もう一つ、同調性バイアスというのがあります。これは、1 人でいるときより複数でいるときの方が、更にリスク認知が遅れて逃げ遅れやすいということです。去年の韓国セウォル号沈没事件のニュースで、船が斜めに傾いていたのに逃げ遅れ、大勢の乗客が亡くなってしまいました。同じ部屋にいた高校生らは、お互いに、「大丈夫だよね」と、言い合って逃げ遅れてしまいました。これが同調性バイアスです。生き残った数少ない生徒の 1 人は、偶然、ジュースを買いに一人で廊下に出ていたので、船が傾いた状態がおかしいと気付いて逃げることができました。
正常性バイアスは、日常生活が比較的安全な社会では、危険に対して過度な警戒をしない方が心理的な負担を減らせる心の仕組みです。些細な異常に常に関心を払っていると神経症になりかねません。正常性バイアスは、安全な社会における心的エネルギーの節約で、通常の場合は合理的なのですが、危険に直面すると、それが逃げ遅れる原因になります。
凍り付き症候群
いざ被害に遭った瞬間に、抵抗できなくなってしまう理由が、「凍り付き症候群」です。これは、突然、大きなストレスに直面すると、頭はまっしろ、体は凍り付いて活動停止状態になることです。
大災害のとき、多くの人が、凍り付いて逃げ遅れてしまうそうです。直ちにヒーローのように行動を起こせる人は、約 10%しかいません。映画みたいに泣きわめいてパニックになる人も 10 ~ 15%しかいないそうです。ほとんどの約 75 ~ 80%の人は、凍り付いて何もできず、茫然自失状態になります。
これは、性被害者も同じです。性被害にあったときにぎゃーぎゃー泣きわめいて抵抗する人なんて 1 割もいないそうです。このとき、身体の中では、生理学でいう「すくみ反応」が起きているそうです。
自律神経のバランスが崩れ、血圧も血糖値も低下し、筋肉が弛緩し、抵抗力が低下します。性犯罪被害の場合は、被害者は、ショックで身体が固まって抵抗できないし、身体に力が入らなくて逃げられなくなり、気管支も収縮して悲鳴も上げられず、助けも呼べない状態になるのです。脳の血流量も低下するので、判断力も低下します。
従順・懐柔反応
被害の継続中に凍り付きが溶けることもありますが、溶けた後、なぜ、被害者は、抵抗も逃走もできなかったか、ということへの答えが「従順・懐柔反応」です。男性の場合は、「闘争・逃走反応」といって、敵が弱そうであれば闘い、敵が強そうであれば逃げるために、身体の機能を高める反応が起こります。ところが、アメリカの女性心理学者タイラー博士の研究では、多くの女性は、戦ったり逃げたりせず、自分を守って生存率を高め、社会的絆を築いて被害を最小化しようという反応をすると提唱しました。性被害者は、抵抗しても勝ち目はなく、逃げようとしても逃げ切れない以上、犯人に対し、殺されないようできるだけ従順に振る舞うことで生存率を高め、酷い暴力や妊娠等の最悪の被害を回避するため、相手を懐柔する方法を模索し、加害者を怒らせないように優しく話しかけることも多いそうです。
いじめの被害者の子も、この反応が出ているといえるでしょう。いじめられている子は、いじめの被害を最小化するため、加害者と一見仲良さそうにしているように見えることがあります。従順・懐柔反応は、弱者の危機回避のための原始反応なのです。
無意識のうちに従順・懐柔反応をとったことで、被害者は、あとで、「なぜ、あのとき、私はあんな行動をとったのか?」と、自分を責めることが多く、PTSD になりやすいのです。また、従順・懐柔反応が出ているときは、体内でアドレナリンが出ているため、記憶力が増しており、被害に遭ったときのことはよく覚えていて、PTSDに悩まされる原因になります。
あなたは悪くない
被害者は、犯罪を予測できず、抵抗できず、犯人に迎合的言動をとります。これは、全て、人間の正常な自己防衛反応であり、被害者が悪いわけでは決してありません。「なぜ、あのとき私は、逃げられなかったのだろう。」と、自責の念にかられる被害者の方達に「あなたは悪くない」と、言いたいです。
法廷で、加害者側の弁護士は、「なんでそんなところについていったんですか。」「なんで抵抗しなかったんですか。」「逃げるチャンスがあったのになんで逃げなかったんですか。」「どうして通行人に助けを呼ばなかったんですか。」「なんですぐに警察に行かなかったんですか。」と、定番で 5 種類の質問をするそうです。被害者は、たいていこれをしていないので、裁判所からも証言内容が不自然だと疑問に思われ、「あなたが抵抗しなかった、又は、逃げようとしなかったことが、当時の状況からして不自然で納得できないから、信用できません。」という理由で、被害者の供述の信用性が否定され、加害者が無罪にされてしまうことが少なくないそうです。
ですから、被害者に対し、この 5 種類の「なぜ」について、捜査段階できちんと理由を確認しておく必要があります。しかし、捜査官が、容易に「なぜ」と質問すると、被害者は、自己責任を問われているように感じ、答えにくい上、心が傷つきます。そこで、「なぜ」ではなく、「もし~していたら、どうなると思いましたか。」と、被害者に聞けば、「相手が上司なので、ついて行かなかったら、(セクハラを疑っているようで)会社に居づらくなると思った。」とか「抵抗したら、犯人を怒らせて殺されると思った。」とか、「逃げようとしても相手の方が足が速いから逃げ切れない、逃げようとして犯人を怒らせたら、殺されると思った。」などの答えが返ってくるそうです。
性犯罪の加害者は、自分は悪いことをしているという意識をあまり持っていない。と、いうお話も驚くべき事でした。性犯罪は、知人からの犯行が多く、犯行を回避することも抵抗することも実際には困難なのに、「嫌だったら、抵抗したはずだ。逃げたはずだ。」という、思い込みがあります。
法曹関係の専門家にも、一般の人にも、田中検事が話してくださった{「正常性バイアス」で逃げ遅れ「凍り付き症候群」で抵抗できず「従順・懐柔反応」で、同意があったと疑われる}という性被害者の心理が理解され、性被害者が生きやすくなり、届け出しやすくなり、憎むべき性犯罪が少しでも減っていけばと思います。
(支援員Ⅰ)