裁判員裁判に、思うこと

 匿  名

 性被害に遭い早1年が経ちました。しかし、まだ裁判は終わってなく、こんなに長くかかるとは思ってもいませんでした。前へ進む事の出来ない日々…。頑張って1歩踏み出してみても次の1歩が中々出せない…。何かしたくても出来ない…。でも何も出来ない自分がものすごく嫌になる。

 そんな今年の1月、VSCOからあるお話を聞きました。「朝日新聞の方が、あなたの話を聞きたいと言っているのだけど。」性被害に遭った私の事件の事や、今年の5月から始まる裁判員裁判についての意見を聞きたいとの事でした。

 初めはすごく悩みましたが、「私の話を聞いてくれて性被害に遭った人の気持ちを知ってもらい、少しでも性被害の人が泣き寝入りせずにすんだら…。」などと色々考え、「私に今出来る事は世の中に、性犯罪がどれだけ重い事件であるか、被害者の苦しみを解ってもらう事!!」と思い取材を受けさせてもらう事にしました。

 その取材から数ケ月後、NHKの方々他の新聞社の方などの取材を受けさせて頂きました。遠いところからは九州の方から足を運んで下さいました。

 最初は自分の事件から入りました。「大丈夫」と思っていても話をすると思い出して来る…。でも話を聞いてもらわないと性犯罪がどれ程重大な事で、被害者がどんな事に害しんでいるか解ってもらえない…。自分の気持ちや訴えが少しずつ記者の方に伝わったのか、記者の方も途中から私に質問をするのにすごく頭を悩ませ言葉を選んでくれていました。事件後、私の家族を含めた周りの入からか、私の気持ちや訴えを理解してくれないことで大変悩みました。しかし、彼らは、軽々しい言動、態度や上からの目線での話は一切なく私の話を聞いてくれました。取材の後半、ある記者が、「僕の周りで性犯罪に遭った人はいないです。」と言われました。それは、その方が知らないだけかもしれないし、被害に遭っても社会に堂々と言えないから黙っているか、言いたくても言えない世の中なのだと私は言いたいのです。
 今年度から始まった裁判員裁判はそんな世の中を変えてくれるのではと思い、裁判員裁判に期待を待っています。反対意見もあると思いますが、「被害者が可哀想だから」という意見でなぜ反対なのか問いてみたい気持ちが少しあります。被害者の事を思い、きちんと考えていれば、「可哀想だから」という言葉は出ないと思います。

 もし、裁判員裁判からはずした場合、被害者はずっと闇の中で苦しみもがく事しか出来なく、なおさら社会から孤立してしまいます。裁判員裁判になった場合には、2次・3次被害に遭わない様に裁判所には配慮をしてもらうこと、裁判員には言葉を選びながら質問などをしてもらうこと、そして、被害者が発言する時には急がせないで時間をかけてでも聞いて欲しいと思っています。それでも被害者にとっては辛い質問や中傷的な発言を受けるかもしれません。裁判員の方には、「自分の大切な人と置き換えて考えて」と、思っています。置き換えて考えてもらうことによって、考え方がより深くなり、自然に言葉もやわらかくなっていくのではと願っているところです。
 裁判員裁判に一般の人が参加する事でどういうふうに裁判が行われていくかなど、色々と勉強になり、また裁判官、検察官、弁護士の方は今まで考えなかった事が、一般の人が入る事によって気付かされることや考えさせられる事が出てくると思います。

 8月3目、全国で初の裁判員裁判が始まりました。初という事で、一般傍聴希望者は約2千人。しかし、この2千人の中から裁判員に選ばれた人がいたら、果たして裁判員を引き受けるのでしょうか。やはり、「人のは見るけど自分はやりたくない」と思っている方が多いのでしょうか…。4日目間の裁判員裁判が終わり、裁判員の方からは様々な意見があり、中でも「いい経験をさせて頂きました。」聞いたとき「こんな方がもっと増えればいいな。」と思いました。弁護士の方からは、「一般の人の意見を聞く事で一般の方の考え方など私たちが普段思わないことを言われたりしたので、ああ、そうかと考えさせられる所がありました。」と言われていました。

 人の今後を決めることには戸惑いがあると思いますが、裁判員になった人は真剣に考えて頂きたいし、もし性犯罪の担当となった場合にも真剣に考えてほしい。そして、被害者が少しでも社会に溶け込める様になる事を願っています。

H21.8.12